厭離庵は、霊元天皇により欣求浄土 ・厭離穢土から庵名が付けられた。 この場所は、元々藤原定家山荘跡で長く荒廃したが、後に冷泉家が修復し臨済宗天竜寺派となった。 再び荒廃したが1910(明治43)年に復興、山岡鉄舟の娘が住職となり尼寺となった。境内には、茶室時雨亭、藤原定家塚、定家が筆洗いに使った柳の井がある。紅葉の名所として知られ、紅葉の時期にのみ拝観が出来ます。